独学で英語が話せる人、失敗する人8つの分岐点 英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ 20XX年、AI通訳・機械翻訳の波を読む ビジネス英語をこれから学ぶ人へ
英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ

2020/02/21 15:35

夏目漱石の憂いが招いた惨事【#03】

英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ #03

日本に英語が初上陸したのは西暦1600年のこと、それからの400年は国、企業、学者をあげた試行錯誤と失敗の歴史である。2000年よりインターネットやコンピューターの発達によって、動画での衛星講義やEラーニング、そしてオンライン英会話やアプリなど技術的な進化を遂げる一方で変わらないものもある。教材や本、そして文法だ。学び方が変わり、選択肢が増えた今日、私たちはどう英語学習と向き合えばよいのか。

福水 ケビン

ニューヨーク州立大学藝術学部卒。現地の医療コンサルティングファームでアカウントマネージャーとして勤務。文部科学省、NHK、英語検定協会など機関に、ビジネス英語や異文化コミュニケーションのコンサルティング、講演・研究協力・プログラム提供する。「ビジネスパーソンが必ず使う英語表現204」ダイヤモンド社など著書多数。在米13年。

英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ

官民で、英語教育の役割分担

―-これまでは英語学習に対するニーズの変化や社会背景などをお話頂きました。一方で、学習や教育は過去100年でどのように変化していったのですか?

夏目漱石が若いころ、熊本第五高等学校で英語の先生をしていた時期がありました。イギリスに留学していた経験をもつ漱石は、日本の英語教育の在り方について次のように述べています。

「生徒はもっぱら読書的方面に力を注ぎて、プラクティカル方面にはきわめて冷淡なるがごとし。発音に至りては誤りすこぶる多し。」

漱石のこの発言から、英語教育が英文解釈、つまりリーディングに偏重して、スピーキングなどのアウトプットができていないことを嘆いていたことが伺えます。丁度時期的には、1890年の終わりから1900年代、時代が明治から大正に移り変わる時のことでした。それからおよそ100年後の令和でも、学校ではリーディングや文法にかける時間がほとんですから、漱石の憂いは続いています。

漱石のこの指摘は簡単に言えば「どうして英語が話せる日本人が育たないんだ」ということです。英語教育に対するスピーキング能力の不足に関する批判はこの100年繰り返されてきました。そしてそれが、民間英語学校や民間の教育サービスの大きな存在意義を生みます。つまり、学校ではリーディングや文法を、英会話学校やALT(Assistant Language Tutorの略で小中高等学校のネイティブ先生)にはスピーキングやリスニングなどのオーラルを学ぼうというわけです。結果から言ってこれが大失敗でした。

たしかに、民間サービスである英会話学校は学校で教わるリーディング、文法重視の英語でなく、アウトプットや会話力、スピーキングをトレーニングすることを目的としたものでした。受験英語の問題や文法偏重教育の業務での応用力の低さを痛感した人達の期待に答えようとしたのです。しかし、学校や受験という堅苦しい殻を破った英会話学校では、「英語が話せると楽しい」「世界を広げよう」などの英語の良い部分だけが切り取られて、本質的な部分「英語は生半可な覚悟と努力で話せるようにはならない」が隠されてしまいました。産業化した英語教育サービスは、英語を学ぶということが、同じ単語やフレーズを難度も覚えなおしてかなりの回数音読するという地道で単調な作業であること、そして訓練は孤独でつまらないものという本質的な部分を学習者に見せないようにしたのです。

--確かに、英会話学校で楽しくなかったら行きたくならないですね。

そこが根底です。つまり、学習者は楽しくなかったら行かない、そうすれば売上が下がってしまう、それならば学習者の満足を優先しようというのが、英会話学校や民間英語サービス業者の考え方でした。学習者に楽しいイメージをすり込むために、また新たな顧客を獲得しようと、「ネイティブと話せると楽しい」「グローバルにはばたけ」などのふれこみでできるだけ授業を楽しくし、下手な英語でもよく褒めて勉強している気にすることが重要視されました。

また、英会話学校では、毎授業新しい知識にふれたり、ページをめくるたびに新しい単語がでてきます。よほどの天才でない限り、人は一回では覚えられないので、習ったことに対する相当量の孤独な復習や自学トレーニングが本当は必要です。そうしたプロセスがないと、浅く広く何も身につかずに終わってしまうことが多い。それは子供から大人までみんなわかっているはずですが。。。

英会話学校が授業の9割が復習や自習だったりしたら成り立ちませんよね。多くのひとが、人当たりや印象がよく多くの新しい知識を教えてくれるネイティブ講師に習いたいはずです。教材にしても同じです。重要な表現が4ページだけあって、ひたすら自習して下さいという内容だったら誰も買わないでしょう。このように産業化した教育サービスは、本来あらゆる学習や習得に必須である、地味で厳しい勉強の本質を包み隠し続けました。

これは英会話学校や研修に限ったことではなく、多くの通信教材やEラーニングなどのあらゆる民間教育サービスにおいても同様です。どの教材においても同じような単語やフレーズを覚えることが中心になりますが、その地味でやりたくない作業をなんとか楽し気に見せようと努力していますね。インターフェースやデザインで学習者の好奇心、向学心、プライドなどをくすぐり、「良い気持ちになっていただくこと」を優先する。学習者がすぐに忘れてしまってものにならないことがわかっていても、学習者からの印象のよいネイティブ講師を起用し新しい教材と単元を教授させることが満足度向上に欠かせません。これは事業者としても仕方のないことです。顧客の満足度追求とリピートは事業の根幹です。その考え方と教育の相性が悪かったのが惨事です。

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