独学で英語が話せる人、失敗する人8つの分岐点 英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ 20XX年、AI通訳・機械翻訳の波を読む ビジネス英語をこれから学ぶ人へ
英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ

2019/08/23 12:30

江戸時代から300年、変わらないこと【#01】

英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ #01

日本に英語が初上陸したのは西暦1600年のこと、それからの400年は国、企業、学者をあげた試行錯誤と失敗の歴史である。2000年よりインターネットやコンピューターの発達によって、動画での衛星講義やEラーニング、そしてオンライン英会話やアプリなど技術的な進化を遂げる一方で変わらないものもある。教材や本、そして文法だ。学び方が変わり、選択肢が増えた今日、私たちはどう英語学習と向き合えばよいのか。

福水 ケビン

ニューヨーク州立大学藝術学部卒。現地の医療コンサルティングファームでアカウントマネージャーとして勤務。文部科学省、NHK、英語検定協会など機関に、ビジネス英語や異文化コミュニケーションのコンサルティング、講演・研究協力・プログラム提供する。「ビジネスパーソンが必ず使う英語表現204」ダイヤモンド社など著書多数。在米13年。

英語教育300年の歴史から紐解く、今後のシナリオ

――これまではビジネス英語を勉強する際は、学校や英会話スクールで人に教わる、または独学で本や通信教育などの教材から学ぶことが一般的でした。今の時代ではEラーニングやアプリ、そしてオンライン英会話など多くの方法があります。星の数ほどもある選択肢の中で、ビジネス英語の学習者にとって、何が最も上達の近道なのか、どんな勉強法が最も効率がよいのでしょうか。それを知るには、日本の英語教育のルーツを知る必要があると思います。率直に、過去300年で英語学習はどのように変わってきたのでしょうか?

日本において英語は300-400年の歴史を持ちます。古くは鎖国時代やペリー来航の時代に海外とのコミュニケーション手段として始まりました。明治維新以降は、他国の哲学や医学、そして文学を取り入れる方法として、また戦時中には敵国の作戦や号令を理解するインテリジェンス諜報活動にも利用されていくなど、時代によって様々な用途で使われてきました。しかし共通していたのは、これらの時代の英語は貿易商、大学教授、医者、陸軍曹など社会の一部の人、割合で言えば5%に満たない人口に限られていたことです。つまり、その人たちが英語ができればそれで十分だったと考えられていました。

その一方で、現代の日本の英語学習は、受験英語やTOEIC、そして英会話学校に代表されるように、より多くの人を対象としたものです。大学受験では毎年40万人以上が英語を勉強し、英語の資格試験は日本だけで年間20万回以上実施されています。その背景にあるのは、日本人の生活水準の向上、経済のグローバル化、インターネットの普及など様々です。戦前まで、一部の人を対象としていた英語でしたが、この70年で日本社会全体を巻き込んだ学問となっていきました。

90%の人にとって英語は無用の長物

――一部の専門職業人を対象とした英語が、多くの人を対象とした英語教育に変化してきたということは、実際に日本人が英語を使う機会が増えたということでしょうか?

そうとも限りません。いまでも英語を使う人は、商社や外資系企業、日系企業の国際事業部のビジネスパーソンなど限定されています。実際に95%以上の日本人が英語で飯を食べているわけではありませんから。周りを見渡せば実社会ではそんなものでしょう。例えば田舎の旅館に外国人が来るから英語が必要と言っても、お客さんである外国人は女将さんが英語が話せるから来るのではなく、日本という国の持つ魅力と旅館の温泉がおそらく目当てではないでしょうか。旅館ビジネスの成立と女将の英語力の間には直接の因果関係はもてません。

江戸時代も、400年後の今も、変わらず英語は一部の人だけが利用すれば十分な言語なのです。

ではなぜこんな国民全体を巻き込んだ大事になってきたかといえば、政府省庁や経団連、民間教育事業者、そしてメディアが主導して日本人全員が英語を話すことができる未来を描いてしまったことにあります。もちろん、日本人のより多くが英語ができるようになれば、経済が成長する可能性は否定できません。

―「描いてしまった」ということですが、これは悪いことなのでしょうか?

どんな政策やキャンペーンにもメリットとデメリットがあるように、この「日本人総英語しゃべれる化キャンペーン」は様々な問題を生みました。一番は非効率、つまり時間の無駄ですね。

ほとんどの人にとって英語は使う機会がないのであれば、教育や学習の時間は費用対効果が低いということになります。東京大学大学院総合文化研究科の助教授である斎藤兆史(よしふみ)さんは、著書「明治の人はなぜ英語ができたのか」の中で次のように言っています。

「個人の得意技能よりも英語力が人事を大きく左右するような社会が健全でないということ、そもそも並大抵の努力で英語など使いこなせるようにならないということ、そして日本人が英語学習のために浪費している労力の有効な使い道がほかにいくらでもあることに、少しでも多くの人がきづいてほしい。」

1割の人しか使うことがない語学のために中学から大人になるまで何千時間も勉強しますね。実用性やメリットに対して、それに必要な労力や投資の勘定が合いません。海外に行くときに少し英語を話すかもしれないから、もしかして仕事で英語を話すかもしれないから、という程度であれば通訳や現地のコーディネーターを雇えば済む問題です。英会話学校の1か月分くらいの学費でまかなえるでしょう。

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