福水 ケビン
ニューヨーク州立大学藝術学部卒。現地の医療コンサルティングファームでアカウントマネージャーとして勤務。文部科学省、NHK、英語検定協会など機関に、ビジネス英語や異文化コミュニケーションのコンサルティング、講演・研究協力・プログラム提供する。「ビジネスパーソンが必ず使う英語表現204」ダイヤモンド社など著書多数。在米13年。
2019/11/29 10:14
日本に英語が初上陸したのは西暦1600年のこと、それからの400年は国、企業、学者をあげた試行錯誤と失敗の歴史である。2000年よりインターネットやコンピューターの発達によって、動画での衛星講義やEラーニング、そしてオンライン英会話やアプリなど技術的な進化を遂げる一方で変わらないものもある。教材や本、そして文法だ。学び方が変わり、選択肢が増えた今日、私たちはどう英語学習と向き合えばよいのか。
戦後民主主義教育は敗戦占領下の学制改革のもと、大学や高校をはじめとした教育機関で徐々に英語を取り入れていきました。そして1961年には日本全国の高校入試ではじめて英語が正式に科目として加わりました。地域によりばらつきはありますが、全国の高校進学率は当時50%程度でした。高校に行くのには英語が必要となり、多くの人にとって英語を勉強することが当たり前になっていきました。
それから20年ほどで日本は大きな経済成長を遂げます。1970年代後半から好景気やバブルに支えられて国民平均所得や生活水準があがった日本では文化の欧米化が進んでいきました。例えば美空ひばりからユーロビート、国内旅行から海外旅行といったように、日本人にとって外国の文化物にふれる機会は庶民の生活レベルで増していきました。世界で初めて家庭用ビデオ規格としてVHSが登場したのが1976年で、それ以降日本テレビ系の日本ロードショーなどが増えていきました。今でこそインターネットやYoutubeがあり、世界にどんなアートやドラマや大衆エンターテインメントがあるかはすぐ知ることができますが、当時は映画館や写真など海外を知るソースは限定されていました。それが家庭のお茶の間のテレビでアメリカのヒット映画などが見れるようになったわけですから、英語の世界というのがより身近にそして憧れをもって感じられたことでしょう。
こうした市場ニーズは1980年以降の英会話学校オープンラッシュを生みました。初期の民間英語教育サービスの代表であるNOVA(株式会社NOVA)がはじめて国内でオープンし、以降の20年間でNOVAは全国500校を開設するにいたります。単純に47都道府県で割ったとしても、1県に約10校の英会話学校があったことになります。NOVA社以外の大小の会社を含めれば1県あたり平均30校はあったことでしょう。もちろんニーズもあったのでしょうが、一番は英語ネイティブスピーカーの賃金を払えるレベルまで日本の生活水準が当時上がったことにあります。時代は1980年代、当時の円高と日本の平均所得の増加は、海外の人材を採用して講師に育成するには大きな追い風でした。こうしてネイティブが教える英会話学校が国内で店舗数を右肩上がりで増やしていったのです。ネイティブスピーカーにとっても自国で仕事をするよりも、日本で英語の先生をしてもペイが大きく変わらなくなったので、英会話学校は採用面で苦労しなかったことでしょう。
英語はこの頃から「進学に必要な学問」という側面と「楽しそう、できれば習得したい身近な言語」という憧れの対象として広まっていきました。このように、教育制度と経済成長、そして海外の文化物の流入の3つの影響で英語は一部の専門職業人のものから日本人全体を対象としたものになっていきました。
2000年以降からは、日本経済のグローバル化がはじまります。少子化、国内マーケットの成熟、海外労働力の有効利用などを背景に、日本経団連や経産省そしてメディアをはじめとして「グローバル人材」「グローバル化」が叫ばれるようになりました。こうした経済的都合から、仕事をしている日本人にとって英語は単なる受験科目や趣味ではなく、キャリア育成上での査定項目として加わりました。2010年には楽天が英語公用語化し、ソフトバンクがTOEICの点数に対して報奨金を出すようになりました。2000年からの20年は英語は「興味をもち、できれば習得したい言語」から「現代人に必須で、習得しなければならない言語」へと強制力を増していきます。
1960年から2000年までの40年を憧れの英語時代だとすれば、2000年以降の20年は強制力の英語時代です。やりたくない人、業務で手一杯の人がプライベートの時間を惜しんで英語を勉強していたのではないでしょうか。
このように、海外からの文化物の流入、生活水準の向上、そして企業のグローバル化戦略とぞれぞれの歯車が悪い意味でうまくかみ合いこの国民全体を巻き込んだ「みんなの英語」は威力を増していったのです。学生は進学に英語が必要で、大学生は就職活動にTOEICが必要で、主婦には趣味で英会話が必要で、会社員には査定のために英語が必要で、というようにすべての年代の日本人に英語が理由をもってついて回る時代になりました。そしてそれは今日でも続いています。